
瞻星台(チョムソンデ)は640年前後に建てられた高さ約9.4mの石の塔で、世界遺産にも登録されています。この写真が何時頃撮影された物なのかは分かりませんが、草葺きの農家らしき建物はちゃんと真っ直ぐに建っており、御堂なのか瓦の屋根も見えるので日本が進出した後の風景のようです(1800年代末は南大門の周辺でさえ歪んだ草葺きの建物ばかりで併合の準備期間に瓦屋根に置き換わった)。
韓国に関心を持つようになる何年も前の話ですが、TBSの世界遺産でこの瞻星台を知って愕然としたのを記憶しています。韓国には史跡・文化遺産が殆ど残っていないため、テキスト情報レベルで王朝の変遷を知る事は出来ても文明の物質的な肉付けがイメージとして伝わって来ません。瞻星台を見て、文字のみで語られる古代朝鮮の歴史を中学・高校の授業等で教えられ半島にはかつて中国に準じるレベルの文明が存在していたと錯覚していたのかも知れないと思うようになりました。
今では、教科書の上の文字では同じ「王」でも古代の中国と朝鮮とでは着ている服や住んでいる宮殿は全く異なる水準の物だったと考えています。文字で表せば同じ「国」でも、その姿は中国と朝鮮ではまるで別次元のものだったのでしょう。朝鮮半島は中国とは比較にならない大きさだし日本と比べてもかなり国土は小さい訳ですが、それでも併合直前まで中央集権国家を形作るには至っておらず単一の王朝を持った村の集まりのようなものだったと理解しています。現在の韓国人を見ていても本質を追求しようとせず上っ面だけパクる傾向が強いように思えますが、朝鮮の王朝も半島全体を統治するシステムが確立しその上に君臨していた訳では無く、極端に言えば中国や日本の王朝を形式だけパクった物だったと考えた方が実像に近いかも知れません。
韓国に文化遺産が残っていない理由は侵略や火災や盗難、17-18世紀に相次いだ大地震等によって説明される場合がありますが、瞻星台が7世紀に建てられたとすると最初から朝鮮半島では遺産として価値を持つような物は殆ど造られなかったのではないかと思えて来ます。また、百済と高句麗が滅んだ時点で半島の歴史は終わってしまった、そして半島はその後ずっと属国状態が続いたために文明が栄えなかった、という説明がされる事もあります。しかし、瞻星台が建てられた7世紀半ばは周辺の国々に対する半島の相対的な文明の遅れが小さい時期だったとも言えます。確かに大陸と地続きだったために独立国であることは難しかったかも知れませんが、文明という点では大陸からの良い影響は計り知れなかった筈です。古代朝鮮の人々がそれを活かせなかったとすれば、そこに現在の朝鮮半島の状況を説明する鍵がありそうな気がします。
できればそれ以前の記事も拝見したい。
偶然出会いましたが大変優れた記事(筆者の方も)
です。次をお待ちしています。
韓国については付け焼刃な知識しか無いのですが、これから頑張って勉強して行こうと考えております。