併合時代は科学的な年代測定はありませんでしたから日本人はかなり慎重に遺跡認定(主に高句麗と統一新羅以降に唐が与えたと思われるもの)していたようなんですが、戦後は歯止めが利かなくなりました。最近の百済団地のようなド派手な捏造だと分かり易いんですが、60年代に始まった比較的地味な捏造には騙されている日本人もいるようです。

写真1

写真2

写真3
弥勒寺西塔の話題の続きです。
最初は写真1の右下の石垣のような部分が何なのか分かりませんでした。この石垣部分も1915年時点よりかなり大きくなっていますが、石塔の巨大化率が凄過ぎて相対的には小さくなっています。
写真2の、中央手前の比較的綺麗に残っている石組みがこれです。これがあったため、最初は弥勒寺石塔全体が日本の城の土台のような形で向こう側が階段状になってるんだろうと思ってました。
写真2は目の高さのカメラをやや上を向けて撮影されたもので、残っている石組みは人の背丈ほどのように見えます。画面のすぐ右は田んぼです。西塔の周囲の地面の白っぽい部分はお百姓さんが通る道になっていてそこだけ草がないんでしょう。塔の周りは地面が盛り上がっているのでこの付近では一番水はけが良く、通り道になり易いんだと思いますね。塔がまた崩れたら危ないですが。
写真123から、弥勒寺西塔は6角以上の多角形の塔に四角い石垣が突き刺さった形をしていたと想像されます。韓国政府は塔の部分を4角形に変更して巨大化したわけです。
写真3で瓦礫がかなり左に広がっているので9層の塔を支える土台の幅があったのかとも思いましたが、これは飛び出した石垣のせいでした。中空の塔の割には瓦礫が多く見えるのも、1層目の天井辺りまでこの石垣があるからです。
では何故塔の後ろにこんな瘤のようなものがあるのか?時系列無視の朝鮮人があらかじめ金日成をパクっていたのか?
これは強度について何も考えないまま塔の建築に着手し、建築中にこの壁の薄さでは6層の塔は無理ぽということが分かってこの石垣を導入したのではないかと思います。7世紀の百済人には「イシ、カタイ。タカイ塔、デキル」程度の思考力しかなかった筈です。外国の建物を見たり外国から工具を手に入れていても、この時代の半島の住人はまだまだ原始人ですから。
石垣が塔の内側にどれぐらい伸びていたのかは分かりませんが、写真2を見た感じ一番無理のある1層目の代わりに塔の重さを支えるにはやや小さい感じがします。これは工事中に問題を悟って建築プランを大幅変更したというより、実際に一部が崩れ始めたので対策的にその部分の壁を石垣に差し替えたもののような気がします。塔の裏側(丘の斜面側)に補強用の石垣を作ったとも考えられますが、先日も書いたように韓国人がとる措置は正しくない場合が多いため外国人にはなかなかその意図が読めません。塔の裏側が地盤沈下で何度も崩れるのでそこだけ石垣に差し替えたら、その石垣の重みで余計地盤沈下が酷くなって周りも壊れてしまった、というのは韓国人的にはありがちだと思います。韓国人が田んぼを作れたぐらいだから、この辺りは昔から湿地だった可能性が高いです。まあ写真3から想像される壁の厚みでは地盤がシッカリしていても崩れて当然に見えます。
最近韓国政府はこの石組みは守護神像を収めた石室だったという設定をひらめいたようです。勿論元々はそんな大きさはありませんでしたし、上の壁が崩れ落ちてきているのにこの部分だけは原形を保っているので中身の詰まった石垣だと思えますが、現在行われている最終形態への改造作業ではその設定を活かしたデザインが採用されるでしょう。
韓国旅行体験者のコメントから。
・マスコミに騙されて行ったけど本当に最悪! (女性/10代/東京)
・性犯罪日本の10倍、残飯使い回し(女性)
・料理不味いし、何もない国 (女性/20代/東京)
・時間とお金の無駄でした (女性/20代/大阪)
韓国は旅行に行くには最悪の国ですが、日本のマスコミは実態を伝えません。身近な人が旅行を計画していたら教えてあげて下さい。拡散にもご協力をお願いします↓
