2011年09月17日

百済の石塔はなぜ崩壊したのか?ケンチャナヨ魂は永遠に

 繰り返しになりますが、古代百済・新羅の建築物にまともな根拠のあるものは殆どありません。朝鮮系の人なのか日本にもこうした遺跡を恭しく扱っている人がいますが、全く馬鹿げたことです。三国遺事独自の記述に沿った証拠を見つけてしまうなんて、遺跡を捏造したと自白しているようなものですw

 併合時代は科学的な年代測定はありませんでしたから日本人はかなり慎重に遺跡認定(主に高句麗と統一新羅以降に唐が与えたと思われるもの)していたようなんですが、戦後は歯止めが利かなくなりました。最近の百済団地のようなド派手な捏造だと分かり易いんですが、60年代に始まった比較的地味な捏造には騙されている日本人もいるようです。

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写真1

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写真2

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写真3

 弥勒寺西塔の話題の続きです。

 最初は写真1の右下の石垣のような部分が何なのか分かりませんでした。この石垣部分も1915年時点よりかなり大きくなっていますが、石塔の巨大化率が凄過ぎて相対的には小さくなっています。

 写真2の、中央手前の比較的綺麗に残っている石組みがこれです。これがあったため、最初は弥勒寺石塔全体が日本の城の土台のような形で向こう側が階段状になってるんだろうと思ってました。

 写真2は目の高さのカメラをやや上を向けて撮影されたもので、残っている石組みは人の背丈ほどのように見えます。画面のすぐ右は田んぼです。西塔の周囲の地面の白っぽい部分はお百姓さんが通る道になっていてそこだけ草がないんでしょう。塔の周りは地面が盛り上がっているのでこの付近では一番水はけが良く、通り道になり易いんだと思いますね。塔がまた崩れたら危ないですが。

 写真123から、弥勒寺西塔は6角以上の多角形の塔に四角い石垣が突き刺さった形をしていたと想像されます。韓国政府は塔の部分を4角形に変更して巨大化したわけです。

 写真3で瓦礫がかなり左に広がっているので9層の塔を支える土台の幅があったのかとも思いましたが、これは飛び出した石垣のせいでした。中空の塔の割には瓦礫が多く見えるのも、1層目の天井辺りまでこの石垣があるからです。

 では何故塔の後ろにこんな瘤のようなものがあるのか?時系列無視の朝鮮人があらかじめ金日成をパクっていたのか?

 これは強度について何も考えないまま塔の建築に着手し、建築中にこの壁の薄さでは6層の塔は無理ぽということが分かってこの石垣を導入したのではないかと思います。7世紀の百済人には「イシ、カタイ。タカイ塔、デキル」程度の思考力しかなかった筈です。外国の建物を見たり外国から工具を手に入れていても、この時代の半島の住人はまだまだ原始人ですから。

 石垣が塔の内側にどれぐらい伸びていたのかは分かりませんが、写真2を見た感じ一番無理のある1層目の代わりに塔の重さを支えるにはやや小さい感じがします。これは工事中に問題を悟って建築プランを大幅変更したというより、実際に一部が崩れ始めたので対策的にその部分の壁を石垣に差し替えたもののような気がします。塔の裏側(丘の斜面側)に補強用の石垣を作ったとも考えられますが、先日も書いたように韓国人がとる措置は正しくない場合が多いため外国人にはなかなかその意図が読めません。塔の裏側が地盤沈下で何度も崩れるのでそこだけ石垣に差し替えたら、その石垣の重みで余計地盤沈下が酷くなって周りも壊れてしまった、というのは韓国人的にはありがちだと思います。韓国人が田んぼを作れたぐらいだから、この辺りは昔から湿地だった可能性が高いです。まあ写真3から想像される壁の厚みでは地盤がシッカリしていても崩れて当然に見えます。

 最近韓国政府はこの石組みは守護神像を収めた石室だったという設定をひらめいたようです。勿論元々はそんな大きさはありませんでしたし、上の壁が崩れ落ちてきているのにこの部分だけは原形を保っているので中身の詰まった石垣だと思えますが、現在行われている最終形態への改造作業ではその設定を活かしたデザインが採用されるでしょう。


韓国旅行体験者のコメントから。
・マスコミに騙されて行ったけど本当に最悪! (女性/10代/東京)
・性犯罪日本の10倍、残飯使い回し(女性)
・料理不味いし、何もない国 (女性/20代/東京)
・時間とお金の無駄でした (女性/20代/大阪)


 韓国は旅行に行くには最悪の国ですが、日本のマスコミは実態を伝えません。身近な人が旅行を計画していたら教えてあげて下さい。拡散にもご協力をお願いします↓

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2011年09月13日

捏造大国・韓国の古代遺跡の秘密

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写真1

 益山弥勒寺址のコメントで教えて頂いた画像の解像度の高いものが見つかりましたので貼っておきます。これは1915年頃に撮影されたと思われる益山弥勒寺西塔です。階段状のものかと思っていたんですが、屋根のような形で大きく張り出しているのが分かります。

益山弥勒寺跡02.jpg
写真2

 こちらは以前貼った画像です。5層目辺りの壁は平らだと思っていたんですが、この2枚を見比べると上層部分は多角形の塔の一角が残ったもののようです。ただ、1層目の手前に綺麗に残っている部分と角度の印象が一致しないのと、写真1を見ると瓦礫がかなり左に広がっているので単純な6角形や8角形ではなかったのかも知れません。基底部の大きさからすると9層を目指していた可能性もありますが、上層部分の崩れ残り方から考えれば崩壊前に6層以上の部分は実現してはいなかったでしょう。

 写真1で西塔の手前に見える音叉みたいな2本の石柱は幢竿支柱と呼ばれるもので、仏画等をかける竿を支えるためのものだそうです。この幢竿支柱は百済時代ではなく統一新羅時代に作られたようです。恐らく中国がもたらしたんでしょう。

 この石柱の高さは約4mだということです。写真の下の地面を見ると、カメラと石柱の距離感やスケール感が実感できると思います。

 もしこの弥勒寺西塔が6階建ての建物の大きさに見える人がいたら、面白いですから試しに以下のことをやってみて下さい。屋根状のものがあるとその間に1フロア分の高さがあるように見えて遠くに感じますが、それは錯覚です。

 実は西塔は石柱のすぐ近くに建っています。数mしか離れていないかも知れません。「もし4mの石柱が向こう側に倒れても、塔にぶつかりはしないかも知れない」という程度の距離だと思います。

 手前は田んぼですから、西塔の周囲の地面よりも低くなっています。石柱の足元が階段のように4段高くなっていて(右に広がる段々畑式の水田の畝が石柱の前で束なって階段状になっているようです)、西塔はすぐその先にあります。

 手前の水田と西塔の周囲の地面の段差は80cm程だと思います。この段差を意識していないと西塔が凄く遠くにあるように錯覚してしまいます。写真1は600x480の画像ですからこれを別のウィンドウで開いて、高さ4mの石柱の足元をよ〜く見て、80cmの段差を頭に入れて、石柱の向こう側の階段を登った場所から連続した地面を追ってその先を見ると、西塔が水田のすぐそばに感じられます。西塔の左側は地面がやや盛り上がっていますが、その盛り上がりは西塔の周りをぐるっと回って水田の前(石柱の左側)まで繋がっています。じっくり見れば見るほど近くに見えるようになりますよ。畝の曲がり具合も「遺跡のギリギリそばまで田んぼにしちゃおう」という発想に見えます。

 現在西塔と石柱は50m近く離れていますが、これは巨大テーマパークを造るために石柱を移動したものだと思います。私の感覚では、西塔と石柱との距離はカメラから石柱までの距離よりもかなり近いと思えます。画面上での西塔と石柱の高さはほぼ同じですから、実物の西塔の高さは石柱の2倍は超えない、つまり8m以下ということになります。以前の記事で「西塔の石の段数は贍星台とほぼ同じなので石のサイズも同じ位なら高さ9m程ということになるが、写真の雰囲気ではそれよりかなり低いように感じる」と書きましたが、写真1からもそのことは言えると思います。恐らく5-6mでしょう。

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写真3

 これが「復元」された弥勒寺西塔の写真です。画面左下の人物と大きさ・また人物と比較した柵の高さから4階建てのアパート以上の高さはあるように見えます。1915年時点の遺跡の正確な高さは分かりませんが、現在の「遺跡」と同じ大きさということはあり得ません。韓国政府は本来の遺跡の崩れた形(写真2の最上層に注目して下さい)からイメージを膨らませて「崩れかけた巨大遺跡」を捏造したんです。

 弥勒寺については1999年から「解体修復」という名目で巨大化工事が行われてきました。百済団地ぐらいになるとウリナラファンタジックテーマパークだということは誰にでも分かるし笑って見ていられます。しかしこの弥勒寺西塔などは信じてしまっている人もいるようです。

 実は個々の遺跡に関するメモが読めなくなってしまったんですが、このブログを始めた頃に30件ほどの主要な遺跡を調べたところ「百済の扶余定林寺は確かに寺院ではあったようだが、その敷地が何時の時代のものかは分からない。他の寺院については、時代も本当に寺だったのかも分からない」という感触でした。百済・新羅の古代建築(上部構造物)についてはこの弥勒寺西塔と新羅の2つの塔以外に物的証拠が殆どありません。構造物自体の存在を示す残骸はないのに、瓦の紋の部分や寺の由来を記した金属のプレートだけが不自然に「発掘」されるという状況です。ついでに、月精橋のように土台だけが残っている遺跡はその土台部分が新羅時代のものだという証拠がありません。

 建築以外では「城」「墳墓」と称される盛り土と石組みのセットは多く残されています。ただし、石組みの多くは近年になって加工された石に差し替えられたようで、中には盛り土自体が捏造されたものもあるのではないかと思います。

 1915年の写真の話題に戻りますが、写真2の上層部分の壁から考えて弥勒寺西塔は中空の塔だったようです。写真1からも、残っている上層部分の厚みのなさが分かります(外側と壁の断面が白っぽく見えており、暗いのは塔の内側です。断面は非常に薄いです)。そして、もし多角形の塔だったとすると全周の2/3以上は崩れているように見えます。

 この塔が戦乱等で破壊されたのであれば、薄い石の壁で出来た6層付近も巻き込まれて崩れてしまった可能性が高いです。また、写真2を見ると石の加工水準は贍星台よりもやや低そうで、この石組みで高さ5-6mの中空の塔を造るのはやや無理があるように思えます。

 西塔は、完成しなかったんじゃないかと思いますね。石を積んだ壁が、周囲が崩れたのに不自然な形で残っているのは、櫓で支えている時に他の部分が崩れたからではないかという気がします。写真2を見ると一番上に屋根に相当する大きな石が残っていますが、最上層の屋根が完成していた・あるいは何の支えもなかったのであれば、周囲が崩れた際にこんなアンバランスな状態の石が崩れずに残るとは考え難いです。

 弥勒寺西塔は百済時代には完成せず統一新羅時代にいずれ完成させるつもりで幢竿支柱も与えられたが、結局工事中に崩壊し木の櫓は1000年以上の時の流れで朽ちたというのが真相ではないかと思います。


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外国での衝撃的な体験談
 韓国旅行に関する注意。リンクはハムスター速報さんの記事です。

韓国も行ったことあるが、帰ってきてから母親が韓国語の勉強やめてたwww

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2011年07月31日

日韓関係における相互主義とは

 金慶珠氏については後程また書くつもりですが、今回はご隠居さんの「こりあうぉっちんぐ」のこの記事で引用されている金氏の発言について考えてみます。

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外交は相互主義だ。社会的関係性の根幹を成す体面の心理を尊重すれば、韓国の出入国政策も適切に相互主義ではなければならないだろう。しかしテロの時代を共に生きていかなければならない私たちであるがゆえに「そうさ、お前も一度やられてみれば」といった対立的相互主義は困る。韓日両国が真の“連帯の相互主義戦略”を早急に模索していかなければならない時だ


 言葉の上でだけ考えれば「外交は相互主義」を否定することは出来ません。しかし、現実の国家と国家の間にはどうしようもない国力の差というものが厳然と存在します。日本にしてみれば、韓国やジンバブエやソマリアにいちいち相互主義で接していては国力が流出するだけです。

 日韓の間柄はあまりにも一方的で、「相互」という言葉がこれ程滑稽に響く関係は他にないでしょう。しかし、韓国人も、何故か大多数の日本人も、日本と韓国の底力の圧倒的な開きを知らないようです(アジア通の欧米人はよく知っているみたいですが)。韓国の社会は進歩や蓄積がないばかりか現状を維持する力もありません。韓国は、併合下に日本によって文明を与えられたのをきっかけに自力で発展を始めたのではなく、資金と技術を日本から供給し続けてもらうことで経済成長を疑似体験してきたんです。日本によって庶民への教育が定着し、現在では個人としては高度な教育を受けている人もいる一方、時々言われるように韓国の社会そのものは李氏朝鮮時代から大して進歩していないと思います。もう少し正確に言うと「自力で進歩出来ない」という朝鮮社会の壁をまだ克服出来ていない。韓国人が洋服を着て、見かけは近代的な街を歩けるのも、大部分は日本のおかげです。李氏朝鮮末期の半島人の写真を思い出して下さい。誇張でなく、日本から絶縁されれば韓国はやがてあれに近い状態に戻って行くでしょう。

 「テロの時代を共に生きていかなければならない私たち」日本にとっては韓国がテロ国家です。ついでに、クジラはコバンザメと「共に生きている」という認識はないし、まして「生きていかなければならない」とは考えません。まあ偶々自分が日本人であるのを良いことに相手国を小者扱いするのも良くないですが、逆に韓国人が韓国と日本を対等に近いかのように語るのは現実無視だし意図的にやっているなら汚いです。個人としての韓国人は尊重しますが、国家としての韓国は日本がまともに相手にしなくてはならないような存在ではありません。「社会的関係性の根幹を成す体面の心理を尊重すれば」などと、韓国と日本の関係を1対1の個人の関係になぞらえるのは韓国側の一方的な都合です。

 「対立的相互主義は困る」確かに対立する必要はありません。韓国はゴネ得を狙って日本に因縁をつけてきているだけですから。先日の外務省の大韓航空に対する処置のように、相手が対立を煽ってきたらそれを口実に少しずつ関係を切って行く、それが日本にとって唯一の正しい対応です。

 「韓日両国が真の“連帯の相互主義戦略”を早急に模索していかなければならない時だ」これは日本には全くメリットがありません。特に今日本は東北復興の道を早急に模索していかなければならない時です。これもよく言われることですが、韓国が身の丈で生き、国ぐるみで海賊版のDVDを販売しているような不正な経済活動を止め、自国民を助け内需を伸ばすところからやり直さない限り韓国と日本の国益は永遠に合致しません。

 姜尚中氏は「日本は傲慢さを捨て、アジアの一員であることを自覚せよ」といった発言をする場合が多いように思います。しかし実際には韓国のほうがアジア諸国から「日本との特殊な関係を利用して自分だけ豊かになり周辺国に横暴に振舞う傲慢な国」と思われて嫌われています。韓国こそアジア諸国に対して「相互主義」で接するべきでした。そうしていたらこの先少しは助けてもらえたかも知れない。そもそも対等な関係が存在しない似非儒教の国に「相互主義」なんて存在しないというのが本当のところだと思います。

 東南アジア諸国はゆっくりとではありますが着実に産業力を伸ばし、幸運にも先行する機会に恵まれた日本と相互のメリットについて話し合える状況が生まれています。実力では、韓国はこうした国々に到底追い付けない筈です。以前も書いたように、現在栄えている国の条件が古代において優れた文明を誇っていたことだというわけではないですが、韓国は他のアジア諸国のような文明を持てなかった原因を未だに解決出来ていません。中国が今後どうなるのかは分かりませんが、それを除けばアジアの力関係はやがて100年前までに達成された文明度と似たバランスに落ち着くと思います。


 韓国では耳を疑うような犯罪・他の国ではあり得ないような犯罪が毎日のように発生しています。調べ始めると気分が悪くなりますが、韓国旅行に行くなら必ず事前に調べましょう。バナーをクリックして拡散にもご協力をお願いします↓
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2011年06月30日

全世界vs韓紛争

 大変に立派な仕上がりの動画を教えて頂きましたので微力ながら拡散に協力させて頂こうと思います。

「危機に瀕する日本: 日韓紛争概説 文化略奪と歴史歪曲に関する一考察」


 韓国という国の存在がもたらす悪影響は多岐に亘るため知らない人に説明するのが非常に難しいのですが、この動画はパクリ国家によって日本が被る不利益に的を絞って非常に上手くまとめられています。また、完成度もプロ級なのできっと世界の人々に対して説得力を持つと思います。

 個人的には、パクリ国家・韓国の被害者は日本ではなく世界中のメーカー・文化の供給者そしてそれらの消費者だと考えています。韓国人が造るパクリ製品からは他国の品を積極的に真似しようという意志は感じられません。それらは韓国人が自分では何も考えない・他人の設計結果を泥棒することに誰も問題を感じないという消極的な要因に支えられていると思います。韓国に関しては、パクリでしか商品が作れない理由と品質が向上しない理由は直結しています。利益を上げるために粗悪品を作っているわけではなく国中から秀才を集めても粗悪品しか作れないので、パクリについて韓国人が態度を改めても低品質・コスパの悪さは改善出来ません。韓国企業が操業し続ける限り、永遠に世界中の消費者に損失を与え続けるだけです。

 文化面においても、評価が確立している著作物群に韓国製が紛れ込むことによって消費者を落胆させジャンルの低迷を招くきっかけになる可能性はあると思います。「悪貨は良貨を駆逐する」ではなく「悪貨と良貨の共倒れ」という状況が、大衆娯楽文化から伝統文化・伝統武術等に寄せられる関心の領域で起こらないとは限りません。かつて文明を持てなかった国が今頃になって薄っぺらな文化を捏造し全世界にアピールすることで、アジアの文明全体の価値が失墜させられてしまう危険は十分あります。

 韓国社会の強みは、誰もモラルを持っていないことです。韓国の企業ではどこかのセクションで歯止めがかかることなく粗悪なパクリ商品の企画→開発→製造→販売を円滑に行うことが出来ます。韓国にとってそれがほぼ唯一と言える武器なので、責任ある立場の人間もそうした体質を改善しようとはしない筈です。韓国は何事においても向上する力がなく自浄能力も持ち得ません。世界が連携して韓国が生み出す様々な物を締め出すしかありません。
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2011年06月27日

口実の文化

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 百済や統一以前の新羅にそれなりの文明があったという錯覚は何故生まれたのか?

 百済は日本との関係が比較的良好で輸入品の中継地となっており、後に仏像等の目録に「百済より伝来」と記されたためそうした物が百済で作られたという誤解されるケースはあったと思います。また、日本人にとって「百済」という言葉は何となくロマンを感じさせる響きがあって、つまらないことですが意外とそういう部分も作用していたのかと思います。「馬韓仏像展」だとちょっとお客さん来ないような気がします。

 余談ですが、百済に出向いていた日本人が大切な宝物の保管状況に気を配らない筈がありません。しかし、これまで調べた限りでは木造の倉の跡が見つかったという話は聞きません。半島南部では城というのは盛り土のことで、テント状の草葺の屋根を架した竪穴式住居が支配者層の住居だったと考えています。寺院にもしっかりした建物があった痕跡はなく、恐らく日本人から見て財宝を安心して保管しておける地上の構造物はなかったと思えます。この地によく見られる土を盛った半地下の穴には、日本人と取引するための倉として利用されていたものがあったのではないかと想像しています。まだ細かくは調べていませんが、「墳墓から副葬品が出た」という解釈は間違っているケースもあるのではないかと思います。

 最初の話に戻ります。百済に文明があったというのは日本人側の勝手な思い込みの部分もあったとは言え、やはりそこには韓国側の工作もあった筈です。

 古くから半島の人々の大半は歴史遺産等には全く関心を持ってきませんでしたが、一方で半島に立派な歴史がないことを酷く気にする人々も脈々と生き続けています。こうした人々が力を持ったり機会を与えられたりすると、時々思い出したように遺跡の再建や歴史捏造運動が起きるようです。併合時代に統一新羅以降の遺跡が発見され、それに対する日本人の反応がこの種の韓国人の捏造魂に再び火を点けた可能性は高いと思います。科学的な年代測定がない時代、日本人考古学者は百済や高句麗の遺跡認定には慎重でした。韓国人にとって日本より朝鮮の文明が先んじていたと主張するのは非常に重要であるため、戦後になってそもそもあまり根拠のなかった筈の百済の遺産捏造が暴走し始めたようです。

 個人的には、韓国人の家族関係は儒教の教えに基いているというのは嘘だと考えています。これについては後でまた触れますが、半島では少しでも立場の強い側が弱い側を利用しようとする傾向が強く、家族関係もまたその連鎖の中にあり、韓国の家族関係について「儒教的な…」と言うのはそうした営みを美化する表現に過ぎないと思います。韓国人が日本人に古代は半島のほうが文明が進んでいたと錯覚させ「韓国兄さん」と呼ばせようとするのは、儒教的な上下関係を築こうとしていると言うより家族関係によって染み付いていて自然に出て来る発想と捉えるほうが正しい気がします。韓国の社会は酷く腐敗していますが、中国人には国の腐敗を憂える人がいても一般の韓国人にはまるでそんな気配がありません。今に始まったわけでもないことを時々新聞がもっともらしく嘆いて見せているだけです。韓国には人生最後の徳政令を神に乞う宗教があるだけで、儒教が浸透してるとは思えません。

 ついでに、韓国人が正常に機能する集団社会を形成出来ないのも韓国人の親子関係に原因の一部があるのではないかと漠然と考えています。脱線が多くなりましたが、時間があったら百済・新羅文明の捏造結果を日本に浸透させた過程について調べてみようと思っています。
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