
確かニュースの深層だったと思いますが、永田寿康氏を1時間番組でじっくり観察する機会がありました。その時点では、コップ水かけ事件等の影響で永田氏に対してあまり良い印象を持っていませんでした。しかし「自分がこの社会を変えて見せる」と言わんばかりに丸1時間熱っぽい調子で語り続ける永田氏を見て(話の内容はすっかり忘れてしまったんですが)ある意味頼もしく感じたのを覚えています。
その番組で永田氏が終始見せ続けた怒りの表情がいつも気になってました。申し分のない経歴の持ち主なのに、世の中のあらゆるものに怒りを感じているかのようなあんな態度をどこで身につけたんだろう?どうやら永田氏は例のメール事件以前から精神に不安定な部分があったらしく、それが原因で入省して数年で官僚として挫折し官僚社会から排除された・あるいは氏がそう思い込んでしまったのではないかと想像しています。周囲から見て精神が不安定と分かる程でなくても、民主党時代に見せた永田氏の言動はとても官僚向きの人間のものとは思えません。
岡田克也氏からも同じ臭いを感じます。岡田氏は家業から弾き出され、自分がグループにとって役に立つ人間であることを認めさせるために通産官僚となり、そこでもまた行き詰まりを感じて政治家になった人物と捉えています。民主党の議員には、屈辱と怒りから政治家になっただけで建設的な考えも理想も持ち合わせていない政治家が多いように思えます。ずっと野党で批判だけしている立場だったから目立ちませんでしたが、いざ政権を獲ってみるとこれまで溜め込んできた負の感情を互いにぶつけ合うだけの集団だということがハッキリしました。
小泉時代初期までの民主党は、政権奪取のための寄り合い所帯で中には旧社会党系の胡散臭い政治家もいる、という風に見えていました。党内には旧社会党系議員の存在を嫌う発言をする議員も多かった。今にして思えばそれは親韓勢力と親北勢力の対立だったのかもしれないし、そんな単純な構図では括れない朝鮮人のカオスな内ゲバだったのかも知れません。色んな立ち位置の政治家がごちゃ混ぜのように見えたのも、実は朝鮮系政治家が形作る核の周囲に「風」で当選した議員がカモフラージュとしてくっついていただけだったとも考えられます。
自由党と合流して朝鮮トロイカ+稲盛体制が完成したこと・小泉人気で「風」頼みが効かなくなり小沢氏が持ち込んだ手法もあって民主党が組織票依存の体質に変化していったこと・臨死体験をした韓国が病室でIMFに煮え湯を飲まされ日本という快適な生命維持装置の必要性を再認識したこと(しかも行く手には次の死が待っている)が、民主党の性格を明確なものにしました。
ですから永田氏が当選した2000年頃の候補者選びはまだマシだったと思います。永田氏は、経歴にはケチのつけようがなく資金力もありました。しかし民潭・総連・自治労・日教組等を通じて朝鮮半島が民主党の最大の支持母体になって以降は、公認の暗黙の条件として日本からの疎外感という要素が更に色濃くなっていったように感じられます。最近当選した民主党の議員は、何らかの事情で日本の社会との間に楔を打ち込まれた人ばかりです。政治家としての資質などまるで見て取れません。
日本の政治的乗っ取りは韓国の悲願であったばかりでなく、ここ数年ずっと破綻状態で北朝鮮のように痩せ細りながら生き永らえてきた韓国は、もしここで乗っ取りに失敗すれば永く苦しい最終的な死への道が確定してしまいます。彼らにしてみれば民主党は誰が主導しても韓国のための政党でなくてはならず、党内に日本のために働くグループが成立する余地が残っていることは恐怖以外の何物でもないでしょう。
韓流ゴリ推しを見れば分かるように、韓国人は加減やバランスというものを知りません。民主党の候補者選定の過程で日本の社会に対する疎外感チェックがどの程度優先され徹底されているのかは分かりませんが、仮に公認作業に関わっているのが朝鮮系政治家・職員(彼らは韓国が崩壊しても直接の被害は被りませんが日本への復讐心で凝り固まっていることには変わりありません)ばかりであれば、それが党の衰退に繋がることなど全く気にせずひたすら反日基準で未来の採決要員を選び続けると思います。実際、震災の時の若手民主党議員の反応を見ていると、この基準はかなり徹底されているようです。
【国際】韓国の生活の質は主要39ヶ国中27位と下位圏! 2000年も2007年も27位と下位圏 韓国旅行に関する注意。リンクは笑韓ブログさんの記事です。
韓国旅行のパンフレットみたことある?綺麗に撮れてるしちゃんと紹介してるように見えるでしょう?ああ、韓国は日本みたいな先進国なんだなぁ、って思いませんか?
私も実際韓国に行くまでは大阪辺りをイメージしていました。ですが実際は臭い。汚い。ゴミだらけ。車が凄い勢いで走りぬけます。危険です。
私が行った先はソウルでしたが、ソウルに入る前に何千何万とも数えきれないくらいのバラック、スラム街がありました。あれはどの雑誌や紹介文にも記載されてなかったのですが、世界と肩を並べてると思っていた韓国がスラム大国だったのが一番の驚きでした。 バナーをクリックして拡散にご協力をお願いします↓
posted by CanUCem at 06:03|
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日本の政治と朝鮮半島
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