
現在の東電を見ていると、朝日新聞が今の状態に至った理由がほんの少しだけ分かるような気がします。
軍部に擦り寄って戦争を煽った朝日新聞の本社ビルは、自らが引き起こした戦火を免れ焼け野原となった東京に建ち残りました。空襲で家族を失った人々の間を縫ってこの社屋に通う朝日新聞社員が受けるプレッシャーは東電社員の比ではなかったでしょう。
終戦の日の前と後での新聞の掌返しには日本中が呆気にとられました。著書「記者風伝」の紹介で河谷史夫氏が語った所によると、ある朝日新聞記者(ベルリン特派員の守山義雄かと思いますが番組では「謀殺・下山事件」の矢田喜美雄の話題の中で触れられていたと記憶)が戦後になって自分は戦争には反対だったと発言し批判を浴びノイローゼになったそうです。当時、朝日の社員は誰でも同じような精神状態に成り得た。社内に満ちた恐怖のエネルギーは膨大な量だったと思います。
朝日は国民の怒りの矛先が自社に向かう事を恐れ、軍国主義を思い起こさせる政治勢力を悪者に仕立て上げて自身は正義の味方を装いました。それはもう必死な努力だったろうと想像しますが、そこには戦前に連なる政治体制を敗戦後の日本人が受け入れる筈が無くやがて自分達が勝利するという読みがあったんだと思います。しかしこの賭けは大きく外れ、朝日の側からすると戦いは泥沼化し次第に日本の社会全体との対立を深めて行く事になりました。
震災後、東電社員の一部は社会からのバッシングに対して反発し始めているようですが、戦後の朝日新聞社内の空気はこれを見れば思い浮かべ易いでしょう。ただ戦後社会に対する朝日新聞社員の憎しみはより多くの人間によって長い年月醸成され続け、これが半島系の人々等につけ込まれて工作の拠点にされてしまったのだと思います。
言うまでも無く大多数の東電職員には何の罪もありません。東電に関しては、罪が無いどころか命懸けで復旧作業に当たっている人も沢山います。大多数の構成員に何の責任も無い点は朝日も同じでしょう。しかしあまり反論の手段の無い電力会社と、影響力の大きい新聞という媒体を新聞社そのものの正当化の為に使い続けて来た朝日に同じ同情を寄せる事は出来ません。勿論、犠牲も桁違いです。
戦前も戦後も、朝日の体質は基本的には権力志向です。ところが彼らが望まない体制が予想外に長く続いたので冷戦中はそれが分かり難かった。1990年前後には朝日系列の内部に今を時代の節目と見る動きがあったようですが、まさかそこから更に20年も自民党政治が続くとは思っていなかったでしょう。理想を掲げて現実の政治の垢にまみれた自民党を批判して来た点を責める気はありませんが、朝日はそれに付随してあまりにも長い間日本という国の多くの部分を憎み続けて来ました。
現在の朝日社員はこの日本社会からの疎外の発端となった終戦直後の体験を実感として持っていません。原発事故を直接知らない未来の世代の東電社員のような物です。もし朝日がメディアとしての世論操作力を持っていなかったら全ての日本人から憎悪される存在になっていたと思いますが、朝日の社員は自分達を嫌っているのはごく普通の日本人ではなく右翼勢力の一部だと本気で思い込んでいるようです。
posted by CanUCem at 10:48|
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日本のマスコミと朝鮮半島
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